美人弁天のいわれ

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厳島神社の御祭神 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

「美人弁天」は、厳島神社の御祭神、市杵島姫命の分身です。
「全ての女性の健康・長命・美」を司る美人弁天には、数多くの言い伝えがあります。

厳島神社の歴史

足利には多くの弁財天があり、足利の領主である長尾氏によって保護されたことから、「長尾の七弁天」と呼び伝えられている弁財天があります。

足利長尾の初代・長尾景人は、文正元年(1466年)足利の庄の代官職となり、始めは勧農城(現在の岩井山城址)に入りました。その後、藤姓・足利氏の旧城である両崖山の足利城に移転し、以後、六代目長尾顕長までの百二十余年の間、足利の地を統治しましたが、天正18年(1590年)、関東の覇権者・北条氏が滅亡した時、豊臣秀吉によって亡ぼされてしまいました。
なお、三代・長尾景長は、城の守護神として弁天を心より尊敬し、城の周囲に七弁天を配神し、弁天近くに守兵を置き、城の守護にあたらせたと伝えられています。
これが「長尾の七弁天」と言われるもので、その中のひとつが、古くは「明石弁天」と呼ばれ、今日は「美人弁天」として名高い厳島神社の弁天です。

心やさしい「八重」の願い

美人弁天に願いをかける参拝者

足利市本城の地に住む八重は、代々短命の家系に生まれ、数々の災いが降り掛かる自分の家にまつわる言い伝えに悩まされ、自らも身体も弱く、貧しさの中、苦しみ、悲嘆にくれていました。 十八歳を過ぎたある日、旅の先達様が通りかかりました。悩みにひしがれていた八重は、お茶を一杯出しながら、身の上話をしました。 先達様は、「この地に清泉の湧く池があり、そこに弁天が祀られています。この弁天に百日おまいりすれば、あなたの人生はきっと変わりますよ。」と言い残して旅立って行かれました。

八重は、先達様の言葉を信じ、毎日毎日、弁天に心を込めて、一心に祈りを続けました。お参りを始めてちょうど百日目、一人の若者に出会い、夫婦になりました。その後、七人の子宝にも恵まれ、幸せを享受できるようになりました。 先達様が言われたように、弁天に祈ることによって、八重の人生は変わりました。 弁天のご加護のもと、世の悲しみも苦しみも越えて、幾年月を経て、八重は多くの孫たちに囲まれ、「健康」にも恵まれ、楽しく心豊かな人生を送ることができました。悩み苦しんだ短命の言い伝えは八重の代で終止符を打ち、「長命」を授かりました。八重は幸せの中で「美しい」人生を送り、百二歳の天寿を全うしました。そして、弁天の「護符を胸に」在世に感謝しつつ、八重は「花鳥の黄泉の国」へと旅立ちました。(副碑より)

弁天様は、八重に「健康」「長命」「美」を授けてくださったのです。 心のやさしい「美人弁天」は「健康」「長命」「美」こそ、女性の一生涯の願いです。 それが「美人弁天のいわれ」になったのです。

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