「美人の国・足利」の言い伝え

Home > 「美人の国・足利」の言い伝え

明石姫の伝説・明石弁天

 「美人の国・足利」の言い伝え(足利の伝説)
      それはそれは美しい明石姫の伝説 明石弁天(足利の伝説・台 一雄 著より)

明石姫の伝説・明石弁天

1056年頃、勅命により源頼義父子が、途中足利の堀込に陣をしき、戦勝を祈願して山城国(京都府)男山八幡宮を勧請(かんじょう)して創建したのが「八幡町の八幡さま」と伝えられています。

その時、源八幡太郎義家は城主足利太夫基綱の館に滞在し、接待に出たのが基綱の娘の「明石姫」です。
「明石姫」は、めざましい武功をあげたりりしい若武者、義家にあこがれの気持ちをいだいても当然、いつしか深く愛し合うようになり、やがて「明石姫」は懐妊しました。

奥羽から戦乱を平定するのが、陸奥守兼鎮守府将軍に任じられていた源義家です。総大将義家の両眼が急に痛みだし、腫れあがってしまいました。「明石姫」はもちろん、父基綱も、義家の家来たちも心配し、両眼が見えなくなっては戦いができません。ある夜、義家は、「天王本地薬師寺如来」に、「三日三晩参籠(さんろう)するように」との夢のお告げを受け、お堂にこもりました。満願の三日目の夜。腫れが引き、両眼が治ったのです。義家は、薬師如来に感謝とお礼と共に、戦勝も祈願し、「明石姫」や大勢の家来たちが、一心に祈りました。力強い義家の勇姿に、「明石姫」はうれし涙にくれました。そして勇躍出陣した義家は、大きな手柄をたて、見事に戦乱を鎮定しました。

出征中に生まれたのは「玉のような男の子」でした。「八雲神社の略誌」によれば、源氏の長者 源義家公を父とし、藤原秀郷公の末裔(まつえい)にあたる、「明石姫」を母として生まれた男児こそ、「足利氏と新田氏」両家の先祖として足利に居を構えた義国公である。と書かれています。

「明石姫」は、心のやさしい、目も覚めるような「美人」でした。夫義家の「健康」を、命をかけて守ったのです。「明石弁天祠」についての「伝説や伝承」はないが、のちに神社を守っていた人たちが「明石姫」を知り、イメージ化された「明石」の名をつけたのではないかと思うのです。昔から誰でも「健康を願い」「長命を祝い」「美しい人生」を歩みたいと思うものです。

「健康と長命と美」は「美人弁天」の三願です。「美人弁天」は運の強い神様です。美人弁天のみこころが「健康と長命と美」、まさに女性の宝を護ってくれることでしょう。そのような願いを込めて、「美人証明」を多くの人に発行しております。

  • 護符・美人証明の力添え
  • なで弁天のご利益
  • 美人弁天「女性はみんな美人」
  • 参拝者からのお便り